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2020/10/30 10:33

「オンライン夜神楽」第1回公演がいよいよ迫って参りました。
今回は多根神楽団と当日の演目についてご説明いたします。


【多根神楽団】

明治の中頃に「佐比賣山神社」の宮司が神職の舞を多根の村人に伝授したのが始まりといわれています。

戦時中(昭和16年頃)は、一時的に舞が絶えましたが、昭和41年に多根青年団員数名の有志が発起して、笛、太鼓や舞を教わり「多根神楽」を継承しています。
伝統ある「多根神楽」を後世に伝えたいと、団員一同が日々練習に取り組みながら、佐比賣山神社に奉納、地元の行事や海外公演などで多根神楽を披露しています。
三瓶山の旧名は、国引き神話で有名な「佐比賣山」ですが改名され、地名も佐比賣村から三瓶町となりました。
佐比賣山神社は、名を継ぎ、古を伝え、多根神楽が奉納されています。




【演目:八重垣(大蛇)】

本来は、「八頭」という演目を八重垣と名付けたものと思われます。
高天原を追放された素戔鳴尊(すさのおのみこと)〔須佐之男命〕は、出雲の国の簸の川(ひのかわ)の辺に来た。
その時、川のそばですすり泣く声が聞こえるので声のする方に行ってみると翁(おきな)と媼(おうな)が真ん中に一人の少女を抱いて泣いていた。素戔鳴尊が訳を聞くと、翁は 「私たち夫婦には八人の娘がいたが毎年、八岐大蛇(やまたのおろち)という怪物がやってきて娘達を次々に呑んでしまいました。
今年もその八岐大蛇がやってくる頃になりました。私達にはどうしようもありません。それで悲しんでいるのです。」と哀れに思った素戔鳴尊は、二人に「娘を嫁に呉れることを条件に、私が八岐大蛇を退治しよう。」と言った。 翁は「八岐大蛇を退治して下さるなら、よろこんで奇稲田姫をさしあげます。」というと、素戔鳴尊は強い酒を醸し、屋敷の周りに垣根をめぐらし、八つの門を作り、それぞれに八つの樽を置き、酒を注ぐように命じました。
八岐大蛇は、八つの頭と八本の尾を持ち、八つの谷と八つの峰にまたがるほど巨大で、目はホオズキように真っ赤、背中には苔や木が生え、腹は血でただれた巨大な怪物です。
やがて、たな引く叢雲(むらくも)に乗って現れた大蛇(おろち)に巧みに毒酒を飲ませやがて酔い伏して眠ったところで十拳の剣を抜き放ち大蛇との死闘を始めます。
それは、壮絶な戦いでその血は岡山県まで届いたといいます。
大蛇の最後の尾から出て来た一振の剣を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と名づけて、天照大神(あまてらすおおみかみ)に捧げ、めでたく奇稲田姫(くしいなだひめ)と結婚します。
※大蛇(オロチ)を多根神楽団では八重垣としています。

足名槌:山下勇太
手名槌:森山克利
奇稲田姫:島林敦也
素戔嗚尊:川角浩司
大蛇:佐々木健志、石田昂輝、飯田優斗、三谷浩昭
大太鼓:月森正巳
小太鼓:神在哲哉
合拍子:神在絢那、三谷蓮乃
笛:神在紗那


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